このシリーズを通して、私たち家族を支えてくれた人たちの話を何度かしてきました。今回は、その中でも特別な存在である実両親について書きたいと思います。
「実は双子なんやって」、顔色が変わった瞬間
双子が発覚したのは妊娠初期のこと。10週頃に少し落ち着いたタイミングで、ちょうど両親が遊びに来てくれていました。
夕飯を食べに出た時に打ち明けることにしました。
👨🦱夫さん「兄弟か姉妹ができました」
その言葉にぱっと顔が明るくなった両親。
👨🦱夫さん「弟か妹かというか、一人ではなくて双子なんです…。」
と、できるだけ明るくポップに夫さんも伝えようとしましたが、あからさまに両親の顔色が変わりました。
👱♀️母「え?なんで??そんなことある?うちは双子の家系じゃないはずなんやけど…。夫さんのところに双子さんはいらっしゃるの?」
なぜ双子などという事象が生まれたのかということにまず驚きを隠せない様子。
👨🦱夫さん「いえ、僕の親戚の方もいないと思うんですけど…」
夫さんも急にそんなこと聞かれたってわかるわけもなくソワソワ。
👱♀️母「そんなことより、あなたの体が保つか心配やわ…。もう歳やのに…。」
当時私は38歳。「あなたの身体は保つの?」という言葉が出てきたのは、親らしい心配だったと思います。
そしてすぐに二人で話し合いが始まりました。父は動揺しすぎてほとんど言葉が出ていなかったのも印象的でした。
👱♀️母「それはこっちにしばらくおらないかんなるやん」
周りに双子の孫がいる友人がいるらしく、色々聞いていたみたいです。まさか自分たちがそちら側になるとは、という衝撃もあったと思います。
長女の誕生日に来てくれた、その2日後に緊急入院
両親が来てくれたのは、私が産休に入ってすぐ、長女むーの誕生日に合わせたタイミングでした。
その時はまだ、お祝いしてまた京都に帰れると思っていたはずです。
でも、その2日後に緊急入院になりました。
夜中のことでした。両親は完全に動揺していました。騒ぐことはもちろんしない両親ですが、このあとどうすればいい?は誰もが思ったそんな夜でした。
長女の誕生日を祝いに来てくれたはずが、そのままコロナ禍の中で半年間居続けることになった。偶然のタイミングで両親は完全に予定が崩れましたが、私たちにとってはこれ以上ない救いでした。
半年間、フル稼働してくれた二人
両親が担ってくれたことを挙げるとキリがありません。
長女の保育園の送迎、一緒に遊ぶこと、ご飯の準備。お風呂と寝かしつけ以外はほとんど両親がやってくれていました。夫さんが双子の出産などで不在の時は寝かしつけも。
母は家事全般を引き受けてくれて、父は退院後の私の病院への送迎を毎日してくれました。
慣れない家で、知り合いもいない土地で、友達にも会えず、趣味の時間もない。ストレスしかなかったと思います。
さらにコロナ禍で外にも行けない。二人でイライラをぶつけ合いながらも、踏ん張ってくれていました。
帰る時、寂しさより先にリフレッシュしてほしかった
半年の同居が終わって両親が京都に帰る日。
寂しさより、とにかく一旦帰ってリフレッシュしてほしいという気持ちの方が大きかったです。
コロナでどこにも行けへんしって我慢してくれていた分、早く自分たちの時間を取り戻してほしかった。
ここには帰ります!と宣言していた母。目標がなければしんどくてやっていけなかったと思います。
今も月1回、会いに来てくれる
それから今でも、両親はほぼ月に1回のペースで会いに来てくれています。
ありがとうの気持ちは伝えているつもりです。でも言葉だけでは到底足りないと思っています。
一番の答えは、孫たちかもしれません。
双子も長女も、じいさんとばあさんが大好きです。会うたびに嬉しそうに飛びついていく姿を見るたびに、これが一番の恩返しになっているといいなと思っています。
あの時来てくれていなかったら、と考えることが今でもあります。緊急入院の2日前に偶然いてくれたこと、そのまま半年踏ん張ってくれたこと。本当にありがとう、と改めて伝えたいです。
