28週で出産することになった双子、産後すぐにNICUでの治療が始まりました。NICUでは保育器の中に置かれたさらに小さなカゴに入れられたくさんの管に繋がれ、顔はいつもやや苦しそうに目をつむっているようにしか見えませんでした。けれど、手や足は元気に伸びをしていて生きてるよ、元気だよと伝えてくれているようでした。そんなNICUであったことの記録です。
“いー” と “かい”、ふたりの名前が世界に生まれた日
二人の名前はとにかく急いで考えないといけなかったけれど、なんとか二人が納得できる名前に辿り着きました。
名前は、いー と かい 全く連想されないものにわざとしました。
連想される名前もいいなと思いましたが、私たちは彼らが双子の片割れとしてではなく、それぞれを見てもらえるようになって欲しかったから。
出産後の手続きはとにかく大変だなと思いつつ、動いてくれる夫さんにここはガッツリ甘えました。
早速、夫さんは役所めぐりをして二人の名前が入った住民票を見せてくれました。
この世界に二人がいる証拠やね
と二人で噛み締めていました。
いーがミルクを飲めなくなった、腸壊死という言葉と私の限界
数週間していきなり夫さんからいーのミルクがあげられなくなったと、アレルギーを起こしたと聞かされました。
つまり、絶食状態。
ん?こんなに小さいのに点滴だけでどうにかなるもんなん?ならんよね?
私の頭の中は同じことをぐるぐる考えて前に進みません。
👨🦱夫さん「このままやと腸が壊死することもあり得るんや。腸が壊死してしまったら最悪一生寝たきりやから。」
👩私「それって今可能性だけ言うってどうにかなるん?いーは治ります。大丈夫やからこれ以上言わんといて。」
状況を説明しようとしてくれる夫さんに私は強い拒否を示しました。
この世界にこんなに小さく生まれてしまって、それでもなんとか生きてる彼らに後ろ向きなことばかりこちらが考えて準備していても何もいいことはないと感情だけが走っていました。
それから毎日面会のたびに、
👩私「いーは大丈夫、強いもんね。父も母もおる。お姉ちゃんもかいもおる。じいさんもばあさんも。みんなで帰ってくるのを待ってるから、あと少し我慢しててよ。」
必ずこの事態は抜けられる。なんの根拠もなかったけれど、そう信じ続けるしかなかった。みんなの願いが通じたのか絶食から10日後、危険な状態から脱することができました。
明らかにかいとの成長に差が生まれてしまうほど痩せてしまったけれど、ここから十分に巻き返せると先生からのお墨付きをいただき一安心。
あれほど怖いことはないと思っていた矢先、今度はかいの状態がおかしくなります。
かいのSpO2が上がらない、原因は1センチの鼻くそだった
👩⚕️看護師「最近、かいくんのSpO2がなかなか上がらなくてもしかしたら詳しい検査が必要かも知れません。」
面会に行くとその日の担当看護師さんに告げられました。
👩私「え?原因がわからないってことですか?」
何でなん?という率直な感想でした。
かいもミルクアレルギーの兆候はあったものの発症はせずに何とか治療を続行できていました。
なのに今度は何?
その日はもしかしたら検査が必要かもとしか言われなかったけれど、1,200gにも満たない体に検査はかなりの負担になります。
どうなるんやろ…。次の日また面会に行くと、
👩⚕️看護師「かいくんの鼻から1センチ大の鼻くそが取れました!!SpO2も安定しているのでこれで大丈夫です!」
ものすごく嬉しそうに教えてくれる看護師さん。
そうなんや…鼻くそのせいやったんや…。安心とともに脱力感が襲ってきました。
大人の拳ほどしかない顔に1センチもの鼻くそが詰まったら息もできる訳がありません。
酸素をずっと入れてもらっている状態なのでその”風”で埃などは溜まりやすいとのこと。
かいよ…あんまりビビらせんといてくれ。
鼻くそにこんなにハラハラさせられたことも初めてでした。
毎日ハラハラが止まらなかった、夫さんが一人で抱えていたこと
毎日、搾乳を届け面会するたびに大小問わず何か事件が起こっている状態が続きました。
私の頭の中は情報過多で常にパンク状態。
夫さんは日々起こることを共有しようとしてくれますが、大体の結末が考えたくないことばかり。
夫さんの不安さえ共有できなくなっていました。
当時を振り返ると夫さんはこの頃が何より辛かったと言います。一人で最悪の事態を考えた孤独は知識や経験がある分、恐怖で押しつぶされそうになっていたと。
私は私でとにかくこの日が無事に終わってくれることを願うしかなかった。
辛い時こそ夫婦で乗り越えましょうはどこへやら。我が家は自分で踏ん張ってください状態でした。
恐らく状況が決まらない中での悪い方をまず考える夫さんに対して、先のことは考えない私が完全に対立した状態になっていました。
”こうなります”と決まってから足並みを揃えるタイプの夫婦だと再認識した出来事でした。
夜中のミルクをつないだ人たち
搾乳は授乳と同じ間隔で3時間おきに行っていました。搾乳機を使って専用のバックに詰めて冷凍したものを病院に届けます。
つまり、夜中も自力で起きて搾乳しなければならず、泣く赤ちゃんもいない搾乳はなかなか大変な時もありました。
特に娘は私がいなくなることをかなりトラウマになったようで、少し離れたところにいる私を探してはまた戻って寝るをしばらくの間毎日繰り返していました。搾乳機の音もあったのでうるさくて眠れなかったと思います…。
病院までは車で10分程度ととても近かったですが、実父がまだ車の運転は危ないと毎日送迎してくれました。そして、実母が家事全般を手伝ってくれたおかげで日常生活はとても楽に過ごすことができました。
みんなの協力なしには双子にミルクを届けることもより負担の大きいものになっていたと思います。
薬剤師パパだからできたこと、処方が来るたびに念を込めて
双子に栄養を届けていたのは母だけではありませんでした。
成長に必要な栄養剤を調製してくれるのは薬剤師さんのお仕事です。小さな赤ちゃんへの薬の調製はとても微量なものを混ぜる繊細な作業だと聞いています。
そんな栄養剤を作っていたのが夫さんでした。もちろん全てではありませんが、自分が担当の時には毎回どこの赤ちゃんにでも『元気に大きくなれ〜』と念を込めて作っているらしい(笑)
点滴一つにしても誰かのおかげだと感じられるのは、夫さんが同じ病院にいるからこそ感じることのできることでした。
2020年のクリスマス、呼吸器をつけたままサンタになったふたり
クリスマスに面会に訪れると看護師さんから寄せ書きをいただきました。
👩⚕️看護師「クリスマスもありがとうございます。スタッフで作ってみたので良かったらみてください。」
そこにはいーとかいの写真があり、画用紙でサンタにデコレーションしてもらっていました。
呼吸器の管を止める鼻のテープがちょうどヒゲのように見えてバッチリサンタさんのように。
👩「めちゃくちゃ可愛いです!!お忙しいのに本当にありがとうございます…!」
寄せ書きも医師から看護師さんまでたくさんの方からメッセージをいただき、双子だけではなく家族の私たちにまで時間を割いてくださったことにもとてもとても感謝しています。
スタッフの方々の温かいご支援で私たちの毎日があると振り返ることのできた特別なクリスマスになりました。
かいがGCUへ、そしていーも、NICU卒業の日
それぞれの事件を乗り越えたあとは経過も順調で、カンガルーケアもしながら少しずつ大きくなるいーとかいを見守っていきました。
そして、先に呼吸器を外すことができたかいが先に隣のGCUに移れることに。
GCUでは退院後の生活に向けた指導も始まります。
NICUで過ごした後半は、二人してミルクが足りないとめちゃくちゃ泣いて看護師さんを困らせていたらしく(1日の摂取量が決まっているので好きなだけは飲めないのです)、しかも一人が泣くと必ずもう一人も泣くので大合唱になると…
泣いた時にもう一人の声は聞こえてたはず。相棒がいなくなって寂しいかも知れない。
次は、いーもかいのところに移ろうね。大丈夫、今はもう元気になったしな。と、声をかけ続けました。
隣といってもエアカーテンや消毒は別々なのでこの数日は確かに少し大変でしたが、NICUからGCUに通えるようになったことがまたひとつ前進した証拠だと嬉しさの方が勝っていました。
いーは絶食期間とほぼ同じ10日くらい遅れてGCUに移ることができました。
次回はGCUでの退院後に向けた指導やその時の気持ちについて綴っていきたいと思います。
